2002-7-20





 そもそも、この美術館には“消費物”は置いていない。時代の中で消費されてしまうような作品を展示している美術館ではない。その分、運営も大変であろう。
 もともと、美術館や博物館というのは「消費物展示場」ではないが、昨今の不景気からか、どこも「儲かる美術館にしろ」というお達しが出ていて、そういう方面で学芸員達が多くの神経を使わねば→





彫刻と建築が、相乗効果で質の高い空間を作った時代や地域があった。

彫刻が、建築の従者として、付属物として扱われる時代や地域があった。

やがて、住むための「機械」、働くための「機械」となった建築は、彫刻を追放した。また、自己の表現として進化した芸術としての彫刻は、建築の装飾となることを拒んだ。精神的にも具体的にも無縁となったものを↓

 


それは限りない欲望へと成長していく。


人は生きるために消費をするのか、消費をするために生きているのか、分からなくなってきた。

生きるために金が必要なのか、金のために生きているのかが分からない。

消費物は昨日も、今日も、明日も生産され続ける。それらは人の生活を取り囲み、殻のようになる。
殻を守るために生きているのか、生きていくから殻が必要なのか分からない。
左の作品は缶コーヒーの缶を並べて→



形骸だけを真似て、並べたところで“意味のある空間”とはならない。
 したり顔の「さも意味ありげで実は空虚な」空間より、「あるのは欲望だけだ!!稼いで、 飲んで、食って、楽しむだけさ!意味など無い !!」という空間のほうが、まだましである。
(建築屋ではなく)建築家や、(彫刻屋ではなく)彫刻家というのは、広大無辺な無意味の世界に“意味”を建立しようと思う人たちなのだから、そこに裏切りがあってはならない。

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