2003-10-10

 




 
 コンピューターのOSはよく人間に似ているという人が多い。当たり前といえば当たり前だ。人間がつくっているのだから。人が不得手な演算処理能力を人間以上に備え、しかも人に似た思考法をする機械。コンピューターについて気味悪く想像を巡らせるのもうなずける。マトリックスという映画が評判だ。いわゆる→




 風致地区、歴史保存地区などと名前が付けられ保存はされてても、一辻越えれば、突然記憶を失った人かのように「ここはどこ?」状態に陥る。新しく現代的なものは「悪」であり、古くゆかしければ「善」であるといった事ではない。田畑のまん中に肩を寄り添うようにして立ち並ぶ住宅、大型量販店の敷地の隅に申し訳なさそうにたたずむ地蔵、森を切り開いて造られた巨大な団地群、断絶、断片化してしまった人風景が問題なのだ。





 そもそも人は世界(地球)に狼藉や迷惑はかけてはいるが、支配などできていない。なので「人に代わって世界を支配する」という言い回しは笑止千万だが、世界という語が、人間のつくる「意味の世界」ということならうなづける。意味の世界とは文明の世界だ。宇宙も地球も元来「無意味な」ものである。そこに意味を見いだしているのは人間である。打ち寄せる波に意味はない。美しい夕焼けにも意味はない。冬空を飛んでいく渡り鳥も、サバンナのライオンも、「意味」の必要なく生きている。



 「ニュータウン」とは何と欺瞞に満ちた名称だろうか。「町」とは人々の「生」の現場を丸抱えするものであるはずだ。いやそのように成長したので「町」と呼ぶ。本当を言えば「ベッドハウスズ」「ベッドルームズ」こそ正しい名称だ。ほとんどの人が都市に勤めに出て、家に寝に帰ってくる。
  日が昇ると駅舎の向こうに消えて行き、日が暮れ暗くなると改札を通って帰ってくる。生産のための汗も、活力のための消費も、すてきな出会いも、刺激的な会話も、思いがけないチャンスも、シュプレヒコールも駅舎の向こう、線路の先の世界で起こっている。
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