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植木さんはヘラヘラ笑いながら(もちろん
演技で)歌っていたが、凄みのある歌だ。噛 みしめると苦さがほとばしる。戦後の日本を象徴するような歌詞と楽曲だ。
我々の周りは見渡せば「分かっちゃいるけどやめられない」ものばかりだ。大気汚染の心配を口にしながらも、車に乗るのはやめられない
水質の悪化に不安を抱きながらも、洗剤の使用はやめられない。→
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人が住まない森、原生林を「景色」「風景」と呼ぶ。そこにある人が小屋を一軒建てた。それも「景色」「風景」と呼ぶ。森は切り開かれ、ビルが建ち並び、電車が通り、車が渋滞するほど走る。 それでも「景色」「風景」と呼ぶ。
原生林の「景色」と都市の「景色」を分ける言葉がなぜないのだろうか?
人が手をつけた「風景」と、そうでない天然の「風景」とは明らかに違うのに。↓
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自動車や電車という乗り物が発明された当初は乗客が乗り物に立って乗ると言うことは考えられなかったに違いない。人が楽に移動できるものとして、科学技術の「夢」をもって考えられたのだから、人は尊重された設計思想のもとに、その席を与えられてきた。
ところが、いつの頃か「立たされる」ようになった。人は「乗客」から「積み荷」として扱われるようになった。
よく言われることだが、科学技術の →
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ないものは作るしかない。ここでは人の手の入った風景を「人風景」と呼び、人の手の入らない風景を「原風景」と呼ぼう。
ただ、人間が作り出したものの排出する熱で北極の氷さえ溶けて、海面上昇が問題になる昨今であるから、厳密には「原風景」はもう失っているが、とりあえずここは前に進もう。
「人風景」とは、想像以上に、人の運命を支配するものだ。「人風景」は人が作るものだが、人間は「人風景」によって育てられる。
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